「なくなりそうな世界のことば」吉岡乾 著 西淑 イラスト

辞典でもあり、絵本でもあり、小説でもあり、そして詩でもある、こんな本は他にはないのではないでしょうか。

「なくなりそうな世界のことば」

そのタイトルから、こういう本なのかな、といった想像を少しだけしていたのですけれど、読んでみるとこの本に対する印象は大分違ったものになる、そんな、なんだか不思議な本なんです。

まずタイトルから、ちいさな辞典のような本かなと思い、次に、西さんがイラストを描いているのを見て、ということは絵入りの小辞典と言った本かな?などと思ったのですが、読んだ後には、この本は小説もしくは詩集と言ったものとのほうが辞典よりも、ずっと感触が近いと感じたのです。

それは、思っていたことと違うことが書かれていた、と言う訳ではなくて、こういう事が書かれているんだろうな、というのが、やはり書かれていたのですけれど、それを読んだ感触は、思っていたものとは大分違ったのです。

それはこの本の構成だったり、選ばれている言葉だったり、添えられている絵だったり、色んな要素があると思うのですけれど、一番強く感じたのは「ことば」というものは、ただ意味を伝えるだけの伝達手段ではないと言うことでした。

こうして書くと、割と単純な意味「言葉は意味を伝えるだけの伝達手段ではない」と聞こえてしまうのですけれど(実際自分はそうとしか書いていないのですけれど…)そう単純な話でもないのです。

どう言うことでしょうか。

これは、言葉があるひとつの限定された意味を持っているだけではなく、その背景に様々な感触、空気、色や匂いを含んでいるということです。

これでもまだ単純な意味に聞こえてしまいますね。

少し話が飛ぶかも知れませんが、この本のタイトルは「なくなりそうな世界のことば」ですが、この本の中で、ただ「言葉」をそのシンプルな用法として(辞典的な言葉として)使っているのは、自分が考えるに、このタイトルだけなのです。

著者の吉岡さんが前書きに書かれています。

「ことばと文化、それらの間には互いに密接な関係があり、切り離して考えることはできません。なぜなら、ことばを用いるとき、そこには話し手の暮らしている生活や環境、それに、そこで育まれてきた文化というものが、背景として隠れているからです」

自分は、この本のタイトルを見て、こういう本なのかな?と思い、読んでみると、実際にそういう内容だったのですが、その意味内容に収まらない、豊かなものが、この本の中の「ことば」には溢れているのです。

本は、見開き1ページ、左ページには西淑さんの絵、右ページにはその言語の説明及び、その選ばれたことばについての短いテキストと言った形で構成されています。

少し紹介させてください。

「オンデョカ」(バスク語)きのこをとりながら

「シャターシュッマユッ」(ジンポー語)月蝕 直訳すると「月が蛙を呑むこと」と言う意だそうです。

「ヒライス」(ウェールズ語)もう帰れない場所に帰りたいと思う気持ち

「アムアアムアマー」(ボントック語)としをとった男の人、おじいさん

「ボロソコモダップ」(ドホイ語)莫大な量の小さな何かが降る

こう、テキストだけ少し抜き出しても辞典的な意味で、面白く感じるかと思いますけれど、添えられている西さんの絵がこの本を辞典ではなく詩へと、昇華させているのです。

絵によって、その言葉の持つ背景である、文化、土地の匂い、人々の暮らしを、言葉の意味の奥から引き出し、目の前に差し出してくれるのです。

読者は全く知らないそれらひとつひとつのことばに触れながら、その絵の助けを借りて、その遠い土地を旅するように、その言葉を話す人々と言葉を交わすように、ことばを味わうことが出来るのです。

それはまるで詩を読んでいるかのようでもあり、遠い国の小説を読んでいるかのような体験なのです。

そうして、ひとつひとつのことばに触れてみると、あることに気が付きます。

この本はことばの本なのですが、ことばの美しさを殊更声高に叫んでいるのではないのです。

ことばの奥にあるもの、ことばがただそれだけで美しいのではなく、ことばの奥にある、人々の暮らしや文化があってこそ、ことばが美しいのだ、と教えてくれるのです。

ことばの辞典であり、絵本であり、小説でもあり、詩でもある、人間についての美しい本がここにあります。

ぜひご覧ください。


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