高々と言うほどのことでもないのですけれど、うちの店の名前「Frobergue」は17世紀の作曲家、Johann Jakob Frobergerを由来としていることもあるので、クラシック音楽と、名前だけは親しい本屋だったりします。
本日更新した本の中の一冊、堀江敏幸さんの音楽エッセイの本「音の糸」は、堀江さんが幼い頃から親しんできた、様々なクラシック音楽との出会いの記憶を辿る、短い章の連なりからなる本です。
多くの、音楽について触れている本と同様に、聴いたことのない盤の名前が出るたびに一旦読書を中断してメモを取る、そんな楽しみももちろんある本ですけれど、特に記憶に残った一篇は、多く触れられているクラシック音楽のことではなく、著者の中学校で教師をしていた、一人の詩人について触れた章でした。
著者は数学の教師から、この学校の先生の中には詩人がいて、その先生は本を出している、「ラの音」ってタイトルの、ちいさくてきれいな本だ、と教えられます。国語と、音楽を担当されているI先生。
けれど直接教わることがなかったので、気になっていても、その先生の詩を読む機会はありませんでした。
しかしちょっとしたことから学年全体で合唱をすることになり、その指揮を担当したのはそのI先生でした。
練習を始める前にI先生はピアノを弾く生徒に声を掛けます。
「ラの音をください」
詩を読んだことはなかったけれど、このI先生の一言はいつまでも耳に残り、先生はやはり詩人なのだと確信するのです。
それから年月が過ぎ、著者が本を出した折に、一冊の詩集が送られてきます。それはI先生のアンソロジーで、その本の編者であるご子息から、あなたの経歴からして、父とご縁があるかもしれません、との手紙が添えられていました。
すぐに「ラの音」の詩篇を探してゆっくり読み始めます。
…赤ん坊の産声は、みなラの音だという。
世界中の赤ん坊が同じ音で呼吸を始めるのに、
「合奏も出来ないほど/ずれた音程になって」いくことの不思議。
表題作は、あの時のI先生の艷やかな、しかし今度はじつにやさしく、心に染み入るような声でこう結ばれていた。
わたしだって
くずれた音程をもてあまし
もう赤ちゃんなんかいないはずの
妻の腹に耳をあてるのさ
かみさまの
ラの音がききたくて
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