物語をおもちゃ箱のようにいつも心の何処かに持っていて、困った時、孤独な時、楽しい時や嬉しい時にも、その中から好きな物を、助けてくれそうなものを、いいえ、そんな風に辻褄が合っていなくても、全然関係のない、ただの気分であるひとつの玩具/物語を取り出してそっと耳を当ててみる。
何度も聞いて、もう何回聞いたかもわからない物語でも、もう何度も遊んで、色んな物語の英雄やお姫様にもなった木馬や人形でも、いつも私に次の物語を囁いてくれるそれらは例えば、水槽の中のクジラ。水の中に沈んだホテルの上空では黄金の魚に羽が生えて真っ白な鳥を追っている。岩山に住む、両手が羽の三つ目の一族。
リロ・フロムと言うこの作家の描き出す絵は、様々な喜びを見るものに与えてくれます。それは想い出のおもちゃ箱のようで、取り出す度に不思議と懐かしい気持ちと、そしてまた新たな物語の謎を語りかけてくるのです。
大勢の人々が大きな筏に乗り魚を釣っている…その水面の下、地中には王宮や舟が埋まり、王様の姿も見えています。
別のページでは、瑞々しい果物のなる木の下で、ひとりの男が酒樽から酒を注いでいます。辺りは暗い夜。狸とフクロウの姿。そこに美しい蝶が舞っています。
少ない言葉でどれだけのイメージが伝わるでしょう。リロ・フロムの絵本のページを開いてみて下さい。
遠い国言葉で書かれた物語でも、その絵からは何処か聞いたことのあるような物語の匂いに溢れています。
どの民族もみな、似た古い物語を持ってるのは、良く知られていることです。みな同じ玩具で遊んだ子どもたちだったのです。
祖父や祖母が幼い頃に聞いた物語を、まるで自分が忘れていたものかのように懐かしく思い出すことの出来るのは、リロ・フロムの絵の語る物語が、人の心の深い部分に触れることが出来るからではないでしょうか。
ユングはその部分をアーキタイプと呼んでいたのでしょう。
リロ・フロムの絵をみるといつも、物語の深い部分、人類共通の心象イメージのようなものに触れている気がしてくるのです。
当店のリロ・フロムの絵本はこちらです。
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