昨日紹介しました「幼い子は微笑む」はこの長田弘さんの「奇跡」という詩集の一番最初に掲載されている詩に、いせひでこさんが絵をつけた本でした。
巻頭はあのような幼い子どもの微笑みについての詩で始まるのですが、長田弘さんはこの詩集の中で、しきりに死者たちの言葉に耳を傾けています。
死者の記憶の詰まったベルリン、北緯50度線を辿って、サハリン島、セミパラチンシク、アウシュヴィッツ、そして身近な人の死。
この旅をする詩人は、人間の悲しみを、それぞれの場所で死者たちの声を聞きながら歌い、しかしそれでもその中に喜びを見つけ、死と生が隣り合わせであることを何度も確かめています。
「空色の町を歩く」と言う詩を部分ですが引用させて下さい。
透き通っていゆく青磁の空が、
束の間の永遠みたいにきれいだ。
思わず、立ちつくす。
両手の指をパッとひろげる。
何もない。ーーー
得たものではなく、
失ったものの総量が、
人の人生とよばれるものの
たぶん全部ではないだろうか。
それがこの世の掟だと、
時を共にした人を喪って知った。
死は素なのである。
日の光が薄柿色に降ってくる
秋の日の午後三時。
街の公園のベンチに、
幼女のような老女が二人、
ならんで座って、楽しげに、
ラッパを吹く小天使みたいに
空に、シャボン玉を飛ばしていた。
天までとどけシャボン玉。
悲しみは窮まるほど明るくなる。
秋の空はそのことを教える。
穏やかな情景の中に、ピンと張り詰めるような悲しみと、しかし朗らかさが寄り添うように描かれています。
この詩集の中のそれぞれの詩は独立したものなのですが、それぞれに響き合っている言葉はいくつもあって、例えばそれは「失うこと」、例えばそれは「希望」だったりします。
芥川龍之介の「蜜柑」を下敷きに、暮色の空から落ちてくる希望を描く「夕暮れのうつくしい季節」そして「鴨川の葵橋の上で」ではタクシーの運転手の言ったことば
梅の開花が遅れとるようやけど、
言うても、梅のことやさかい、
四季が来ると、それなりに、
そこそこは、咲きよるけどな。・・・
を
「希望というものはそういうものだと思う」
と続けています。
この詩人の言葉を聴く者たちは皆、彼とともに旅をし、時を行き来し季節を巡って、失われたものとそして再び現れるものに、目を瞠るのです。
幼い子どもの微笑みで始まったこの詩集は、春の詩でそのページの最後を埋めています。
タイトルにもなっている「奇跡」という詩です。
この詩で次々に花開く花木を歌いながら
もうすぐ春彼岸だ
心に親しい死者たちが
足音も立てずに帰ってくる
そう書き記します。
ここに響いているのはきっとT.S.エリオットの「荒れ地」の冒頭であり、チョーサーの「カンタベリー物語」でもあると思います。
春の中に生と死を見たこの三人の詩人の声が、土の中から芽を出し始めた花々のように、この詩集からは聞こえてくるようです。
もうすぐ春ですね。
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「奇跡」長田弘
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