「バンブルアーディ」モーリス・センダック

モーリス・センダック最後の絵本「バンブルアーディ」は昨年日本語版が発売されたばかりの本です。

原書英語版は2011年に出版された作品で、その翌年にセンダックは亡くなっています。80歳を越えたセンダックが最後に書いた絵本は、一匹の子豚が主人公のお話でした。

子豚の名前はバンブルアーディ、今までに一度も誕生日を祝って貰ったことがありません。プロローグに悲惨なバンブルアーディの9歳になるまでのストーリーがさらっと書かれていて(あまりにさらっと書かれているので悲惨な感じが全くないのですが…)ここからお話は始まります。

今日は6月10日、バンブルアーディ9歳の誕生日、9歳で、初めてお祝いしてもらうのです。お祝いしてくれるのは、今バンブルアーディを引き取って育ててくれているアデリーンおばさん。

アデリーンおばさんはまず、カウボーイの服をバンブルアーディにプレゼントしてくれて、バンブルアーディも大喜び。

そのまま誕生日を祝う仮装パーティーをしよう!そう友達を招待するのです!

アデリーンおばさんが仕事へ出かけたのと入れ替わりに友達たちは仮装してやってきて…来るやいなやどんちゃん騒ぎの大騒ぎ!

ケーキもがつがつ、ジュースもがぶがぶ、歌って踊って(朝の九時のはずなのに、いつの間にか背景が夜に変わっています)まるでハロウィンの仮装行列のようです。

この場面はとっても迫力のある楽しいシーンなのですが、この「バンブルアーディ」のどんちゃん騒ぎを見て誰もがすぐに連想するのは「かいじゅうたちのいるところ」のかいじゅうおどりの場面ではないでしょうか?

満月の下でかいじゅうたちと踊る場面、そしてこのバンブルアーディのどんちゃん騒ぎの場面、そのどちらにも空には満月らしきものが描かれてもいるのです。

少し話が飛んでしまいますが、私はここで、画家/批評家の古谷利裕さんがハロウィンの仮装をVR(仮想現実)と対比してAR(現実拡張)と繋げて説明していましたことを思い出しました。

以下引用です。

VRはこの世界とは別の世界をつくってそこに没入するという方向だが、ARは「この世界」のなかに別の世界を付け加えるという方向だといえる。いわば、この世からあの世へ向かおうとするイメージと、あの世のものがこの世にあふれ出てくるというイメージの違い。前者は、この世とあの世という形で世界を分離・並列化させ、後者は二つの世界を混ぜ合わせる。前者はあの世へ向かう内省的傾向を持ち、後者はこの世を、とにかく「この場所」を魔法化するという傾向をもつ。

<偽日記2014年11月2日>

この二つの場面を対比して考えると「かいじゅうたちのいるところ」は異世界へ行って帰ってくるお話(VR的)でしたが「バンブルアーディ」は現実に異世界が紛れ込んでくるお話(AR的)になっているとも言えるのではないでしょうか。

上記の古谷さんの引用部分をそのまま「かいじゅうたちのいるところ」と「バンブルアーディ」の対比として読むと非常に興味深いです。

そう考えると、センダックが最後に描いた絵本「バンブルアーディ」は、異世界へ行くのではなく、現実世界に足をつけた作品になっているのです。センダックは最後に「かいじゅうたちのいるところ」と対になっている作品を描いた、とも言えるでしょうか。

そして「バンブルアーディ」では「かいじゅうたちのいるところ」では決して描かれることのなかった「大人」が登場しています。これもお話の中で「現実」が担保になっていると言いますか、拠り所になっている一つの表れだと思います。

それは、アデリーンおばさん。バンブルアーディのことを愛してくれている優しいアデリーンおばさん。

バンブルアーディは一度の誕生日をも祝ってもらったことのない、9歳の子豚です。両親とは、既に死別してしまっています。

普通だったならばその傷ついた心を癒やすために空想の世界へ行くのは必要なこと/当然のこととも思えますが、この絵本ではその心を癒やす役目をちゃんと「大人」が責任を持って勤めているのです。

バンブルアーディたちのどんちゃん騒ぎは、仕事から帰ってきた、アデリーンおばさんに、ちゃんと、怒られて収拾されるのです。(この部分も「かいじゅうたちのいるところ」と比べて読むととても面白く思えます)

何処か異世界の不思議な感触を残したまま物語を終えた「かいじゅうたちのいるところ」とは違って、「バンブルアーディ」はこのアデリーンおばさんによって、素敵な終わり方をしています。

センダックのこの素晴らしい二つの作品の、どちらが優れている、などと言うつもりは自分には全くありません。センダックはこの二つの作品の持つ、現実を超えていく力、フィクションの癒やしの力と、現実で実際に救われる事ができる力、その両方を描き、そして残したかったのではないでしょうか。

素晴らしいフィクションの作品を数多く描いたセンダックが、最後にこうした「大人」がしっかりと役割を果たす、現実の力に基づいたお話を描いたことを思うと、ひとりの大人として、襟を正さねばいけないな、とも感じてしまいますね。

明日6月10日はバンブルアーディ、そしてモーリス・センダックの誕生日です。

「かいじゅうたちのいるところ」とあわせて多くの人に手に取って頂きたい絵本です。


以前書いた「かいじゅうたちのいるところ」についてのブログはこちらです。

*とても長いですので、お時間のある時に読んで頂けたら幸いです。

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