最近の当店の更新では、少し意識的に現在のBLM運動と関連して読めるような、遠く響き合うことが出来るような古書も更新をしております。
今日は藤本和子さんの著作を二冊。
小説好きの方にはリチャード・ブローティガンの翻訳者として名前を知られている藤本和子さんは黒人女性についての本も書かれています。
この二冊「塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性」「ブルースだってただの唄 黒人女性のマニフェスト」はアメリカの黒人女性たちに語ってもらったことを書き記した二冊です。
対話でもあり、インタビューでもあり、レポートでもあるような二冊の本。
彼女たちの語る、それぞれの生い立ちや、家族のこと。アメリカで『黒人』で『女性』で、生きるということの声。
以下引用は聞書の部分ではなく藤本さんの考えを述べている部分なのですが、すごい文章です。ものすごい力を持っていると思います。少し引用長くなりますが…。
集団の歴史をひとりひとりその身に負いながら、女たちは自らの生をいかに名づけるのだろうか。
それは世界のどこにいても、女たちのこころを離れない問いでもあるだろう。
女たちは体験を語るにふさわしいことばを求めつつ、こころをひらく。
できあいのことばでは語りえぬことの多いことを知りつつ、こころをひらく。女たちがみずからの体験を言語化しようとするとき、それを可能にしてくれる言語がない、それを「さわやかな欠如」という表現でいったのは、ずいぶん前の森崎和江さんだったが、そのことばはいまだに説得力をもっている。
「さわやかな欠如」から出発すればいい!出会った黒人女性の多くが、やはりことばを探しもとめつつ、語っているようだった。
けれども手探りしつつ語る彼女らの背後に、アフリカ系アメリカ人固有の精神世界の遺産をうかがうこともできるのだった。
それは世界の女たちの「さわやかな欠如」の中身が普遍的なものではないことを示している。そしてそのことこそ、わたしたちには重要だ。
普遍性のなかにやすらぎを見出すよりも、他者の固有性と異質性のなかに、わたしたちを撃ち、刺しつらぬくものを見ること。そこから力をくみとることだ、わたしたち自身を名づけ、探しだすというのなら。
「ブルースだってただの唄」より
何かを変えるときはいつも、ひとりひとりがただ考え始めるということからすべてが始まると思います。
本は答えを与えてくれるものではなく、きっかけを与えてくれるものです。
80年代に出されたこの二冊の本は今の時代にも、自分たちを動かす力強いきっかけを与えてくれる本だと思います。
少しでも気になった方には、ぜひ読んで頂きたい二冊です。
「塩を食う女たち」は当店在庫品は絶版の単行本版ですが、2018年に岩波現代文庫として復刊もされております。
こちらは現在在庫僅少とのことですが、出版社に在庫があれば取り寄せは可能ですので、お気軽にお問い合わせ下さい。
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