「のどがかわいた」大阿久佳乃

「のどがかわいた」大阿久佳乃

2020年3月発売 岬書店/夏葉社


本を読む楽しみ、詩を読む喜び。

読書の魅力を噛み砕いた言葉、そして抑えられた美しい表現で伝えてくれる、もっともっと本を読みたくなる、そんな一冊です。

ちょっと本筋の話ではないのですが、この本を紹介するにあたって、自分はこの本の著者がまだ10代(執筆時)だということを、書くべきなのか、それとも書かないでおくべきなのか、とても悩みました。


まだ若い著者の才能溢れるエッセイ集。

そんな風に書いて、その年齢の響きが呼び起こすある色彩。

本を紹介する文句としては別に構わないかも知れませんが(そもそも自分はこういった書き方を好んではあまりしないのですが)、この本に関しては、著者の年齢をわざわざ前面に出すことが、なんだかこの著者に対して失礼なのではないか、と感じたのです。

はっきり言うと、その若さがもつ瑞々しさがどう、などというレベルではなく、この本に書かれたような文章の水準まで、多くの人が、多くの歳月を費やしたとしてもまず到達できない、そのような明晰で端正な文章がそこにはあるからです。

この本の素晴らしさは、十代の感性などというようなものではなく(もちろんそうしたものが感じられる部分もありますが)、この著者が持つ「言葉」への真摯な姿勢が根底にあると思います。

それはまるで一流の翻訳者のエッセイを読んでいるかのような感触があるのです。

自分がこの本を読みながらまず思い浮かんだ人は須賀敦子さんでした。例えば下記の引用部分(本書収録「時間への愛着」冒頭)ですが、須賀敦子さんの遺伝子を強く感じるのは自分だけではないのではないでしょうか。


イーユン・リーの短編「優しさ」を読み始めてすぐ、自分が用心しなければならないことを悟った。息をひそめなければならないと思った。というのは、この回想の物語を読み進めるにつれ、私は自分自身の人生について考えることになり、何かが、もしかすると明らかになってしまうのではないか、と感じたからだ。それも人生の核のような、空腹のような寂しさについて。


本書は著者が様々な詩、そして小説について、その魅力、味わい方を丁寧に解きほぐしながら語ってくれる本です。

知っている詩も、知らない詩も、優しく手を引いて、詩の森の、言葉の森の奥へと連れて行ってくれる、優しい教師のような本なのです。

十代の子が教師?なんて思われるかも知れませんが、そもそも若いということは、一体何なのでしょう。

若いことの何が優れていて、何が劣っているというのでしょうか?

そんな風に思ってしまうほど、自分が持っていた若さへの固定観念が、この本の著者が十代であったと言うことを意識すればするほど、揺らいでくるのです。

人生と言う、短くも長い、様々な出来事が起こる人間の生の中で、読書という行為が、その人生を覆い尽くしてしまったある種の人々。(先に名前を上げた須賀敦子さんもそうした人々の一人だと思います)

この著者の文章からは、そうした偉大な人々と、同じ文章の感触があるのです。

読書は人生を豊かにしてくれる、なんて言いますけれど、ほんとうでしょうか?

わかりません。知らない人と知り合ったり、旅をしたほうが良いかも知れません。

それでも自分は、本を読むことが何ものにも代えがたい経験となり、救いとなり、人間的な生活を支える基盤になるであろう人々が少なからず存在することを、疑っていません。

本を読むことでしか得られないものは、確かにあります。あるんです。

その、自分の信じる「確かなもの」は、この本の中に、そしてきっとこの著者の中にも、しっかりと息づいているのです。

ある本の著者が10代だと言うことは、テキストを読みつつも、やはり何処か、その著者の「人間(性)」を見てしまうのですが(「瑞々しさ」などという形容詞を使う時点でその視点に陥ってしまっていると思います)、この本からは、自分は「人間」よりも「言葉」そのものを強く感じました。

人間を支える、普遍的なものの存在を。

10代の、中学生くらいから、60歳を越えるような方々にまで、多くの人に読んで頂きたい本です。

ちなみに、この本のタイトルにもなっている、本書の中で紹介されている「のどがかわいた」という短編は、自分もとても気になったので、新刊で仕入れました!

この短編は、ウーリー・オルレブの『羽がはえたら』という本に収録されているものです。

オンラインストアのほうで、こちらもぜひあわせてご覧ください。


のどがかわいた」大阿久佳乃

羽がはえたら」ウーリー・オルレブ

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