今日は梅雨の晴れ間、洗濯物の向こうの青空はもうすっかり夏の青さですけれど、風だけはまだ6月の匂いを運んでいます。
雨の翌日でも、水溜りもないのは少し寂しいですけれど、一晩もあれば乾いてしまいますね。
最近は子どもが目に見えて、本を読んであげると喜んでくれるので、こちらも楽しくなって、何度でも読んでしまいます。
雨の季節なので、クドゥラーチェク/ミレナ・ルケショヴァーの「おんなのことあめ」を、お子さんと読んでいる方も多いのではないでしょうか?
優しさに溢れた、宝石箱のように美しい絵本ですよね。
こちらも、そのクドゥラーチェクとミレナ・ルケショヴァーの絵本「Guten Tag, Frühling」(こんにちは、春/ドイツ語版)です。
日本未翻訳のもので、チェコ語版は「Cap」(コウノトリ)と言うタイトルで、表紙のデザインも違います。
始まりは雪だるまたちが、その雪だるまたちを作った男の子と女の子を待っている場面から始まります。
「二人は今日来るかな、」そんな風に雪だるまたちは噂をしているのですが、その日、子どもたちは現れませんでした。
翌日、その二人の子どもはその場所へやってきます。
けれど、雪だるまは見当たりません。雪だるまたちの帽子だけが、地面に落ちています。
「あれ、どこへ行っちゃたんだろう」
なんて、話すのですけれど、もう雪だるまは溶けてしまっているのです。
すぐそばには、スノーフレークとスノードロップが咲いています。
そして彼らは気づくのです。「Guten Tag, Frühling!(こんにちは、春!)」
この絵本のこの始まり方、すごく好きなんです。
1ページで、もう消えてしまう雪だるまたちの会話で始まる、その寂しさ。
この絵本で中心に描かれている春の喜びの前に、冬というものがあったと、ちゃんと意識させてくれるこの描き方に、ドキドキしてしまいます。
実際クドゥラーチェクとミレナ・ルケショヴァーのこの絵本は季節絵本のシリーズとして描かれたもので、その前の季節(冬)の絵本もあるのですけれど(「ゆきのおうま」)、連作だからそう感じる、と言うのとはちょっと違うんですよね。
この一冊の独立した本が、こちらの世界へ開かれていると感じる、などと言うと大袈裟でしょうか。
ある物語が始まる前に、別の物語の名残を感じることは、言い換えるならば、すべての生命の前には、別の生命があったと言うことだと思うのです。
なんだかさらに大袈裟な言い方になってしまって恐縮ですけれど、一つの独立したものだとなんとなく思ってしまっていたものが、そうではなく、すべて続きの物語なのだ、と思えることは、自分はとても愉快で、胸がすくような思いになるのです。
今日のような梅雨の晴れ間のように、パッと目の前が開けるような、そんな気持ちになれるのです。
そんな、クドゥラーチェクとミレナ・ルケショヴァーの絵本です。
当店のヤン・クドゥラーチェクの絵本はこちらです。
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