ステパン・ザブレルの絵本は今ではどれも絶版ですけれど、学研から出ていた幾つかのものはまだ見かけることもあるでしょうか。
日本では恐らくこの1978年に佑学社の「ヨーロッパ創作絵本シリーズ」として出版されたのが最初で、このシリーズで3冊ほど出ているのですが、そのどれも今では古本屋でさえ余り見ることはないかもしれません。
こちらの「いなくなったたいよう」はそのシリーズの第一号として出されたものですね。
神話のようにお話は始まります。
昔人間は森のなかで暮らしていました。
太陽が登る時人々は起き出して、太陽が沈むと眠りにつきました。
そして毎日、夕方になると山の上で火を焚いて、明日の朝も太陽がここに登ってきてくれるように合図を送ったものでした。
けれど、時がたつにつれて人々は森を出て街を作ります。
街は次第に大きくなり、人々は太陽を見向きもしないようになりました。
空は街から出る煙で黒く覆われ、悲しくなった太陽は、もう地平線から顔をだすのをやめてしまいました。
あたりは闇に包まれ、そして雪が降り出し、街は雪に覆われてしまいます。
太陽を顧みなくなっていた自分たちを反省し、人々はまた昔のように山へ登り焚き火をするのでしたが…。
普通のお話ならここでまた太陽が現れて終わるのでしょうけれど、このお話は少し違います。
太陽が出て来て、そして雪は溶け出し「大人」たちは喜ぶのですが、街は以前のままで、空は最後のシーンまで黒く覆われているのです。
現在の社会が解決することが出来ていない問題について、お話の中だからといって安易な解決を与えない、そうした厳しさに、作者の強い思いを感じるようです。
最後のシーンを是非見て頂きたいのですが、子どもたちが、太陽に捧げるための花束を持って、黒い空を見上げています。
しかしそこには、黒い空に光を遮られたままの太陽がぼんやりとあるだけで、その姿を見ることは出来ません。
絵についてだけ書くと、辛辣な終わりのように思えますが、最後のシーンはその子どもたちの、真っ黒な空を見上げながら発した、希望の叫びで終わっています。
美しく、素晴らしい絵本です。
余談ですが、写真にあげましたこの絵本の太陽に焚き火を捧げる場面なのですが、池田亮司さんの作品「Spectra」に似ていませんか?
まさか池田さんはここからヒントを得たなんてことはないでしょうけれど、とても美しい場面です。
ザブレルの絵本の当店のほかの在庫商品も見やすいように、オンラインストアの最初に並べましたので、ぜひご一緒にご覧ください。
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「いなくなったたいよう」ステパン・ザブレル
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