「A PERFECT DAY」Remy Charlip

レミー・シャーリップがジョン・ケージと親交があって、タムラ堂さんから翻訳版が出ている「雪がふっている」はそのケージに捧げられた1冊だと知ったときには驚きました。

シャーリップ、さすが、只者じゃない。

シャーリップで一番大好きなのは「よかったねネッドくん」ですね。すごく好きです!(本日はネッドくんの1978年5刷のものが入荷しております。紙の質感も現行のものとは違いいい雰囲気です)

そしてこちらはそのシャーリップの「A PERFECT DAY」

まだ翻訳はされていない絵本ですね。

父親と子供の、ただの、ふつうの『一日』を描いただけのお話なのですが、不思議な感動が、この絵本の中には溢れています。

朝ごはんを食べて、散歩に出て、雲を眺め、友だちを呼んで原っぱでランチをして、昼寝をして、午後は絵を描いて、夜は本を読み…。

シャーリップの柔らかい色彩と線で絵で描かれるその何気ない一日は、たしかに、完璧な一日を描いています。

実はこの絵本を読んでいて、別の絵本を思い出しました。

「うさこちゃんとうみ」ディック・ブルーナのミッフィーシリーズの1冊です。

何故この絵本を思い出したかと言うと、この二つの絵本はともに、父と子だけが描かれており、母親が登場しません。

「うさこちゃんとうみ」はそれが作品の中に陰影を作り出し、不思議な寂しさを生み出しています。五味太郎さんがこの作品についてこの部分を指摘していて「お母さんは出産で病院に行っているんじゃないか?」と面白いことをたくさん書いているので、是非読んでみてください(「絵本を読んでみる」平凡社ライブラリー 五味太郎)。

シャーリップの「A PERFECT DAY」ではどうでしょうか?

母親はたしかに出てこないのですけれど、「うさこちゃんとうみ」がその作品の全編に渡って帯びているような寂しさはずっと影を潜めています。しかし、それは0ではないのですけれど。

もう少し深読みすると「A PERFECT DAY」の中で、友だちを呼んで原っぱでランチをする場面では、主人公である父と子以外に四組の親と子が描かれていますが、そのすべての親は、ひとりだけなんです。(父だけ、もしくは母だけ)

これはもしかしたら、シングルファザー/シングルマザーの集まりなのではないか?などと、穿った見方をしてしまいますけれど、そうした社会的な視点(父と母がいて、子どもがいる。ということだったり、親がひとりだったらその親は離婚をしている、ということ)をこの作品に持ち込むこと自体が、間違ったことなのかも知れません。

ただ、親と子がいる。

そう言えば食卓の場面では、二人で並んで食事をしていますが、母親の不在を強調したいならば、そこに誰も座っていない椅子を描いても良さそうなものですが、椅子は二脚だけです。この二人はそもそものはじめから二人だけだったのではないか?そう思わせます。

親と子ども、二人だけ。互いに愛し合っていて、一緒にいて時を過ごすだけの、完璧な一日。

もしかしたらそれは、親と子である必要さえも無いのかも知れません。

ここまで言ってしまうと、この絵本を、恐ろしい絵本だと思ってしまう人もいるでしょうか。

不思議な絵本です。すぐそこにあるような、でもずっととおいとおい未来の一日でもあるような、不思議な絵本なんです。

ぜひオンラインストアの方でもご覧ください。


当店のシャーリップの本はこちらです。

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