純粋さというものに、何処かしらいつも怖い部分を感じてしまうのは私だけでしょうか。
純粋、それを無垢と言い換えても良いかもしれませんが、そういったものを感じる作品としてすぐに思い浮かぶのは「星の王子さま」「かいじゅうたちのいるところ」「100万回生きたねこ」またジャンルは違いますがラース・フォン・トリアー監督の「奇跡の海」でエミリー・ワトソンが演じる役の女性。
そしてそのどれにも怖さを感じてしまうのです。
「L’opera de la Lune(つきのオペラ)」ジャック・プレヴェールとジャクリーヌ・デュエームによるこの絵本はひとりの寂しい男の子が主人公の、小さな物語です。
この絵本も、先に挙げたような作品に連なる、痛いほどの「純粋さ」を持った作品なのです。
両親からあまり構ってもらえないこの男の子は、お月さまが上っていさえすればいつもニコニコしていました。
変わった子だと思われていたこの子は、大人たちに月のお話を語りだします。いつもこの男の子は、月に行って遊んでいたのです…。
自分の頭の中のお話を滔々と語っているようにも聞こえるその月のお話は、聞いている大人たちを困惑させます。
月の素晴らしい人々の話、月のパパやママのこと、そして月のオペラのこと。
おつきさまのオペラにはね なんでもあるんだよ
そのどれもがきれいできれいで くらべるものがないくらいだよ
おつきさまが まんまるでなくても
オペラは いつも まんいんなのさ
おつきさまが かばいろなら
かばいろのおどりこで いっぱいなのさ
きのうもきょうもあしたも おまつりなんだ
どのまちでもブラスバンドが ねりあるくんだ
歌われる楽園の様子。
大人たちはそのオペラで歌われる歌を、男の子にどんな歌なのか聞くのですが…。
男の子と大人たちは、最後まで分かりあえません。
この寂しさを抱える男の子は、しきりに月の世界へ帰りたがり、やがて眠りの中へ落ちていきます。
この絵本を読んで読者が感じるのは、語られる月の楽園への憧憬よりも、この今いる地球の現状への恥ずかしさではないでしょうか。
この男の子が語る月の世界に溢れるものはすべて、地球には充分にないものばかりなのですから。
無垢や純粋さを、何処か怖いと感じてしまうのは、その真っ直ぐな瞳に自分が耐えられないからかもしれません。
それは自分がもうそのような無垢の中にはいないこと、そして自分がこれからもそのようには生きられないことを、きっと誰より自分自身で強く感じてしまっているからなのでしょう。
お話の方にばかり触れてしまいましたが、絵を描いているジャクリーヌ・デュエームは個人的にとても好きな作家のひとりなので、また違う作品の時に詳しく紹介させて下さい。現在数冊ですが、当店にも在庫がございます。
またこの「L’opera de la Lune(つきのオペラ)」はフランス語原初版1984年刷のものです。日本語版は明日、オンラインストアの方に更新する予定でおります。
ところでこの絵本には中に歌の楽譜が載っていて、そのページは蛇腹ページになっていて広げることが出来るのですが、その楽譜の裏側のイラストがヒエロニムス・ボスやブリューゲルの絵に何処と無く似ているのです。(バベルの塔のようなものも見えます)
この絵本の持つ純粋さの根源に、この辺りの作家の秘密も関連していると考えることはとても興味深いことかもしれません。
ジャクリーヌ・デュエームの当店在庫はこちらです。
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