光の画家としてユリー・シュルヴィッツの絵本を以前紹介しましたが、こちらの絵本ではどちらかというと、その繊細な光の表現に驚きつつも、お話自体の方に関心を寄せてしまいます。
「たからもの」と言う絵本です。
ある村に貧しい男が住んでいました。
彼は或る晩夢で「都の宮殿の橋の下で宝物をさがせ」とのお告げを聞きます。
始めは信じなかった彼も、何度も同じ夢を見るので都へ行ってみることにしました。
ようやく都へたどり着いたのですが、そこまで躍起になって男は宝物を探しはせず、毎日橋の周りを歩いていました。
すると橋の衛兵が彼に、お前は毎日やってきて何をしているのだと尋ねるのです。彼は衛兵に事の顛末を話すと、衛兵は鼻で笑って不思議な話を始めるのです….。
イギリスの古いお話からシュルヴィッツがつくったお話なのだそうですが、少し調べましたら、とてもとても良く似たお話が日本にもあるようなのです。
それはアニメの「まんが日本昔ばなし」でも放映された「みそ買い橋」(なんと脚本は沖島勲さんです!)と言うお話で、あらすじを読んでみると、まったく不思議なことにほぼ同じ話なのですね。
全く異なる場所で似たお話が語り継がれるというのはしばしば聞くことで、そうしたものは文化よりも深い場所で、人間の根源的な部分に深く根ざした物語なのだと思います。
しかし、この物語のどこが人間の深い場所に根ざした物語なのか、自分にははっきりと指摘することが出来ないのですが、それでも妙に惹かれてしまう不思議な物語なんです。
このお話をまとめると「大事なものを見つけるためには遠回りしなければならない」「本当に大切なものはすぐそばにあるが、それを見つけるためには努力が必要」だとか、そういった教訓めいた感想が出てきそうにもなるのですが(お話の最後には実際にそういった言葉が出てくるのですが)、自分がこのお話に惹かれるのはもっと違う部分のような気がするのです。
それは「信じること」でしょうか。
この貧しい男はお告げをはじめは信じませんが、やがて信じて、旅へ出ます。同じような経験をしていた橋の衛兵は、自分の聞いたお告げを信じておらず、しかし、そのお告げを衛兵から聞いた貧しい男は再び信じるのです。
信じるものと信じないものの二人しか、この話には登場しません。
結果信じるものの方が宝物を手にします。
だからと言って「信じる」ことのほうが正しいことだとは思いません(現代において安易なそれはしばしば危険なことだと思います)が、この「信じる」ことは、人間の根源的な要素のひとつなのではないか、と考えることは出来ると思います。
そんなふうに考えるとその「信じる」ことが「出来る」ということこそが「たからもの」なのだとも言えそうですね。
古くから伝わるお話には他の言葉ではなかなか言い換えることの出来ない強い魅力がいつもありますね。お話の力というのはやっぱりすごいなあと感じる一冊でもあると思います。
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「たからもの」ユリー・シュルヴィッツ
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