おまじないのような、挨拶のような、何かの名前のような不思議な響き「んぐまーま」
絵か言葉か、どちらが先に書かれ、どちらがそれに応えたのかはわかりませんが、どちらにしても、二つが合わさった瞬間を想像すると、例えようのない高揚感が込み上げてきます。
現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんは、数多くの著作を出されており、その詩に沢山の人が思いを巡らせてきたことと思います。長きに渡って言葉と真摯に向き合ってきた谷川さんですから、魔法使いのように、あるいは魔術師にように、言葉を自在に操るんじゃないかと思ってしまうのですが、この絵本の言葉はどうでしょう。谷川さんが魔法のステッキをひと振りして、散らばった言葉のようにも思えます。しかし、その言葉たちが勝手に動き出し、好きに暴れ出して、谷川さん自身が言葉に振り回されてしまっている、そんな印象すら受けるのです。それ程のエネルギーを持って、言葉があっちからこっちから響いてきます。
それはたぶん、そこに色と形の魔法もかけられているから。その操り手は美術家の大竹伸朗さんです。 大竹さんは、先に「ジャリおじさん」という絵本を描いていますが、絵本作家としての仕事は現在のところこの二点のみで、本業はと言うと…写真やコラージュ作品、立体造形物の制作、さらには直島に銭湯までオープンさせていたりと、その活動は多岐に渡ります。そのすべてを行なうこと、それが大竹伸朗さんの職業と言えます。そうとしか、言えないのです。
そんな二人が言葉と筆をぶつけ合って生まれたこの本には、何が描かれていると明言することができません。それは何にも描かれていない、ということで、同時に、何でも描かれている、とも言えるのかもしれません。とにかく、すべては特定不可能なのです。絵にも言葉にも頼れない。どちらからも説明は一切してもらえません。
しかし、こどもは(大人でも)そこに書かれていない言葉をすぐに見つけるでしょうし(むしろ書かれている言葉をそのまま読むことの方が難しいくらいです)、無限に物語を膨らませ、命を生み出すでしょう。そしてそれは、読む度ごとに幾とおりにも変容していくことと思います。
そんなとらえどころのない絵本ですから、これは一見解でしかありませんが、なんの意味も持たない谷川さんの言葉も、大竹さんの絵も、ただ一点、「命」という核を秘めているように感じられはしないでしょうか。その、エネルギーがまぁ自由に暴れているような。
「コンセプトよりも『思い』」で作品を作っている、と言う大竹さんですから、こんなにも、わからなさが面白いのかもしれません。
「あかちゃんから絵本」シリーズとして出版されたこの絵本。そこにはもちろん、純粋に赤ちゃんを喜ばせ楽しませるという目的や、アートに触れることに年齢制限を設けないという目論見があると思われます。しかし何と言っても「何かを教えようなんて下心は捨てて、あかちゃんになりきって絵本をつくろう!」という試みで作られたことが魅力的です。道徳的な教訓絵本は、もちろん子どもの成長に不可欠です。しかし、一つの答えに向かって進んでいくお話では養えないものもあるはずです。それは、創造力かもしれませんし、もっと感覚的な、あるいは身体的なものかもしれません。とにかく、私たち大人も不思議の世界へ入り込んでしまえるほどの、とんでもなさを体験すること。それは、赤ちゃんの持つ未知数の可能性に触れるような、近づくような体験なのかもしれません。
この本を読んだ子どもが大人になってお二人の仕事を知ったら、すごい本だったんだ!なんて思うのでしょうね。谷川さんはこのシリーズで様々なジャンルの作家たちと絵本を作られていますが、どれもユーモラスで驚かされるものばかりです。大人の私は、著作でお二人の脳内地図の広さに改めて驚いてから、もう一度「んぐまーま」を開いてみたりするのです。
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